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清流会館は、イタイイタイ病公害被害者が裁判のその意義ある勝利を記念し、イタイイタイ病救済はもとより再発防止のための運動拠点として建設されました。公害根絶を願い、たたかいの歴史を広く後世に伝えています。

イタイイタイ病対策協議会結成50周年

碑文

黄金色の稲穂が風にゆらぐこの神通川両岸の地は、先人が営々辛苦の末開拓した沃土であり、我々子孫にもたらされた偉大な遺産である。ところが、明治後期ないし大正期から稲の生育が阻害される農業被害が出始め、大正中頃から昭和前期にかけて以降、全身の激痛と骨折により「イタイイタイ」と泣き叫ぶ〝奇病〟の患者が年々多発する鬼哭啾々の地と化した。

その原因が神通川上流の岐阜県神岡鉱山から排出される鉱毒に含まれるカドミウムだと指摘したのは、昭和三十年代後半、吉岡金市博士と萩野昇医師らである。その後、このカドミウム原因説は、金沢大学石崎有信教授ほか多くの医学者らの研究により次第に確立され、これが昭和四十三年五月のイタイイタイ病の原因はカドミウムとする「厚生省見解」に繋がり、我が国初の公害病指定となった。これに先立ち、昭和四十一年十一月十四日、被害者家族は小松義久氏を会長とするイタイイタイ病対策協議会(イ対協)を結成し、苦難の中、「戸籍をかけ」て、昭和四十三年三月九日、三井金属鉱業株式会社を被告とする訴訟を富山地方裁判所に提起した。裁判は、小松会長を中心に髙木良信氏と江添久明氏らが補佐し多くの被害住民が一致協力して闘った(第一次から第七次訴訟までの死者を含む裁判対象者総数百八十二名、遺族を含む総原告数約五百名)。弁護団は正力喜之助団長ほか近藤忠孝氏、島林樹氏(地元婦中町出身)ら全国から集まった約二十名の常任弁護士が参加してイタイイタイ病訴訟弁護団が組織され、加えて県内の諸団体により富山県イタイイタイ病対策会議が結成されて裁判を支援した。その結果、昭和四十六年六月三十日に全面勝訴し、控訴審においても、翌四十七年八月九日、名古屋高等裁判所金沢支部で被害者完全勝利の判決(確定)を勝ち取り、それまでの公害裁判の敗北の歴史を塗りかえた。

また、当時すでにカドミウムで汚染された広大な農業被害地の土壌復元が問題化し、小松会長と木澤進氏(弁護団)が中心となり各被害地域に対策協議会が結成されたが、控訴審判決の翌日、被害住民らは三井金属との長時間に及ぶ直接交渉により、三通の書面(イ病の賠償に関する「誓約書」、土壌汚染問題に関する「誓約書」、立入調査に関する「公害防止協定書」)の締結を勝ち取った。その後、神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会(被団協)が発足し、「公害防止協定書」に基づく立入調査が毎年継続的に行われ、イタイイタイ病弁護団と東京大学原善四郎教授や京都大学倉知三夫教授ほか多くの協力科学者の支援の下、粘り強い改善要求が行われた。

その結果、神岡鉱山から排出されるカドミウム量は年々減少して、神通川の水質は今日、自然界値にまで改善され、汚染された土壌も県の公害防除特別土地改良事業(復元事業)によって平成二十三年度までに復元指定地域(約一千六百八十五ヘクタールのうち復元除外地を除く約八百六十三ヘクタール)全域の復元が完了した。

また、イタイイタイ病患者救済については、「誓約書」に基づき富山県公害健康被害認定審査会において、現在も患者認定と要観察者判定がなされているが、これまで一進一退の中、弁護団と医学者らの協力の下、数度にわたる行政不服申立(審査請求)の闘いと相まって患者救済の前進が図られ、今日までに昭和四十二年からの行政による患者認定総数は二百名、要観察者判定実総数は三百四十三名にのぼっている(裁判対象者の大半がこれらの中に含まれるが、そのほか大正期以降に裁判の対象とされないまま死亡した被害者は少なくとも二百名に達するであろうと推定されている)。さらに、その前段症状であるカドミウム腎症(公害病未指定)については汚染地域全域にわたって多数の被害者がいる中、平成二十五年十二月十七日、イ対協及び被団協と三井金属との間で、同社による正式な謝罪とともに、これらの者を対象とした一定の救済を含む「全面解決」の合意書調印がなされ、富山県、富山市の協力も得てその救済の実行がなされている。このように裁判以降も四十数年にわたる弛みない住民運動によって患者救済、汚染土壌復元、発生源対策において大きな成果をおさめて今日に至った。

もとより、イタイイタイ病をはじめとする健康被害、土壌汚染、農業被害等の大きな惨禍は、その規模、程度等においてカドミウム汚染としては他に類を見ない甚大なものであり、その被害の回復に向けた取り組みは我が国をはじめ世界各地における公害環境対策のひとつとして歴史的な教訓と意義を持つものである。こうした中、これら住民運動の原点であるイ対協の結成五十周年を迎えるにあたり、これを記念して、業病や崇りと差別され辛酸をなめ、正にイタイイタイ病の生き地獄に尊い命を失った数多くの人々を哀悼するとともに、二度とこのような惨禍が繰り返されることがないよう、これら史実を後世に伝え、被害克服に尽力された多くの方々の努力と功績を讃えるべく、ここに「イタイイタイ病闘いの顕彰碑」を建立する。

平成二十八(二〇一六)年十一月十二日

イタイイタイ病対策協議会
第二代会長髙木勲寛

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