1955 (昭和30)年 |
8月 | 「イタイイタイ病」との病名が初めて新聞(富山新聞)に掲載される |
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1957 (昭和32)年 |
萩野医師が富山県医学会でイタイイタイ病鉱毒説を発表 | |
1961 (昭和36)年 |
6月 | 萩野昇医師、吉岡金市氏が、札幌の日本整形外科学会でカドミウム鉱毒説を発表 |
12月 | 富山県に「富山県地方特殊病対策委員会」が設置される | |
1963 (昭和38)年 |
6月 | 厚生省・文部省にイタイイタイ病研究班を発足させる |
1966 (昭和41)年 |
11月14日 | イタイイタイ病対策協議会を発足・会長 小松義久氏(於 婦中町熊野公民館) 萩野昇医師の呼び掛け、島林樹弁護士はじめ弁護士有志の力添えにより、戸籍をかけた闘い、全ての原点のスタート |
12月 | イ対協が婦中町と富山県に熊野地区への水道敷設要請 | |
1967 (昭和42)年 |
6月 | イ対協によるイ病患者遺族家族大会・法要 正栄寺 |
12月 | 小松みよ他3名が厚生大臣と通産大臣に救済陳情 | |
12月21日 | 富山県にイタイイタイ病認定審査協議会が発足(患者73名、要観察者155名) | |
1968 (昭和43)年 |
1月 | 富山県イタイイタイ病対策会議結成(代表 森田徳政氏) |
1月8日 | イタイイタイ病訴訟弁護団が結成 正力喜之助氏が団長 梨木作次郎氏が副団長 |
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3月9日 | イタイイタイ病裁判を提起(原告14名)(富山地方裁判所) | |
5月8日 | イタイイタイ病に関する厚生省見解(上流神岡鉱業所の企業活動により排出されるカドミウムによる慢性中毒によるもの)が発表される 公害病1号に認定 |
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1969 (昭和44)年 |
3月 | 婦中町がイ対協へイ病裁判のため100万円の助成金支払を決定 |
12月 | 熊野地区へ簡易水道(非汚染の井田川水系の水源)からの給水始まる | |
1970 (昭和45)年 |
2月 | イ病二次以下訴訟費用救助決定 |
8月 | イ病患者追悼法要 富山本願寺(第2回) | |
1971 (昭和46)年 |
5月31日 | 土壌汚染防止法などの公害立法が施行される |
6月30日 | イタイイタイ病訴訟第一審の勝訴判決(第37回期日、富山地方裁判所) 日本の公害裁判で初の勝訴判決 三井金属が即日控訴 神岡鉱業所にてカドミウム差押え、6,600万円支払判決 |
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10月 | イ病控訴審のために石川県イ病対策会議結成される | |
1972 (昭和47)年 |
8月9日 | 第1次訴訟完全勝訴判決(名古屋高裁金沢支部) |
8月10日 | バス3台で三井金属本社(東京)にて11時間におよぶ直接交渉の末三つの協定書を勝ち取る「患者に対する損害賠償の誓約書」・「汚染土壌の復元の誓約書」・「公害防止協定書」(イタイイタイ病対策協議会・熊野地区鉱毒対策協議会・鵜坂公害対策協議会・速星地区公害対策協議会参加) | |
8月 | イタイイタイ病裁判勝利報告大法要富山本願寺(第3回) | |
11月 | 神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会を結成 (熊野・鵜坂・速星・宮川・神明地区鉱害対策協議会・新保地区土壌汚染対策協議会と、イタイイタイ病対策協議会、イタイイタイ病訴訟弁護団の8団体) |
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11月16~ 18日 |
第1回神岡鉱業所への立入調査実施(200名参加) 以後毎年、被害住民・科学者・弁護士参加 |
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1973 (昭和48)年 |
7月 | 記録映画クランクイン |
7月19日 | 三井金属鉱業と誓約書に基づき医療補償協定を締結 | |
1974 (昭和49)年 |
1月 | 記録映画「イタイイタイ病」完成発表会(上映妨害の電話が入る) |
5月 | 裁判記録イタイイタイ病全6巻が完成(全原告へ配布) | |
7月 | 近藤忠孝弁護士が参議院議員に初当選、以後3期連続当選 | |
8月 | 鉱対協が科学者に排水、排煙対策等の研究を委託 | |
9月1日 | 公害健康被害補償法が施行される(第1種:大気汚染 第2種:イタイイタイ病・水俣病) | |
1975 (昭和50)年 |
1月 | 文芸春秋2月号に「イタイイタイ病は幻の公害病か」が掲載される |
2月 | 小坂自民党参議院議員「イ病の厚生省見解」の再検討を要求、巻返しはじまる | |
10月 | 婦中町で第3回土壌汚染問題全国研究会開催 | |
1976 (昭和51)年 |
イタイイタイ病と慢性カドミウム中毒に関する総合研究班が発足 | |
4月 | 日本鉱業協会は汚染米制度の取消等を求める報告書を配布、巻返し本格化 | |
5月 | 清流会館が竣工 患者救済・発生源対策・土壌復元運動の拠点、イタイイタイ病についての資料館の役割を果たす |
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6月 | 第1回全国公害被害者総行動デーが開催される 以後毎年開催、毎年参加 |
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10月29日 | 富山県が環境省委託の住民検診を受け入れず、イ対協が独自に自主検診を実施する(石崎先生、萩野先生の協力のもとで実施) | |
11月 | 清流会館で全国公害弁護団連絡会議富山県集会開催 | |
1977 (昭和52)年 |
3月 | 自主検診で居住歴に比例しカドミ腎症の率が高くなることが判明 神通川流域四市町村議会議長が早期復元を県へ要請 |
1978 (昭和53)年 |
7月 | イ対協・富山県知事にイ病とカドミ腎症の救済を要請 |
7月29日 | 三井金属鉱業との医療補償協定を改訂 | |
8月 | 清流会館で「発生源対策シンポジウム」開催 | |
1979 (昭和54)年 |
環境省委託の住民健康影響調査が始まる 土壌汚染対策地域 第1次地区の復元事業が開始(~昭和59年度まで) |
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8月 | 萩野昇医師がイ病認定委員から外されたことでイ対協、県に抗議 |