1980 (昭和55)年 |
2月6日 | イタイイタイ病訴訟弁護団長 正力喜之助先生が逝去、享年74才 |
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3月 | WHO世界保健機構が「カドミウムのクライテリア」中間報告で「イ病の発症にはカドミウムが必要条件であった」と結論 | |
1981 (昭和56)年 |
8月9日 | イタイイタイ病勝訴判決10周年を記念して「第1回イタイイタイ病セミナー」を開催 以後30回まで開催 |
1982 (昭和57)年 |
10月4日 | イタイイタイ病研究会発足、以後平成25年11月までほぼ毎月開催 北川正信富山医薬大名誉教授、青島恵子萩野病院長、イ病弁護団担当弁護士、イ対協役員による |
1983 (昭和58)年 |
土壌汚染対策地域 第2次地区の復元事業が開始(~平成6年度まで) 2次以降三井金属の負担率39・39% |
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3月25日 | 環境省指導により「骨生検の取扱いに関する申し合わせ」第2内規により保留していた患者の審査が行われ、10名が認定される | |
1985 (昭和60)年 |
12月 | 環境庁にカドミウム腎症救済を要請 |
1986 (昭和61)年 |
10月16日 | 三井金属鉱業との医療補償協定を再改訂する |
11月 | イ対協結成20周年記念集会を開催 | |
1987 (昭和62)年 |
12月22日 | 認定申請を行った7名に対し、全員棄却の処分がなされる |
1988 (昭和63)年 |
2月24日 | 前年12月22日に開催された認定審査会における7名全員の棄却処分に対して異議を申し立て |
4月16日 | 異議申し立てに対し、全員の異議を棄却する処分がなされる | |
5月11日 | 公害健康被害補償不服審査会に審査請求を申し立て | |
1989 (平成元)年 |
4月8日 | 「イタイイタイ病及び慢性カドミウム中毒に関する総合的研究」班の中間取りまとめが発表される |
1990 (平成2)年 |
6月26日 | 萩野病院院長萩野昇先生が逝去、享年74才、葬儀 正栄寺(萩島) |
7月17日 | 不服審査第1回口頭審理が始まる 第2回は11月20日に開催 | |
11月 | 吉岡金市教授逝去 | |
1991 (平成3)年 |
4月24日 | 不服審査第3回口頭審理、第4回は7月23日に開催、第5回は11月20日に開催 |
8月10日 | 立入調査20周年記念発生源対策シンポジウムを開催 報告者:倉知三夫(京都大学名誉教授)・金岡千嘉男(金沢大学教授)・廣井敏男(東京経済大学教授)(於 ボルファートとやま) |
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8月11日 | 第20回神岡鉱業所への立入調査を実施 | |
1992 (平成4)年 |
土壌汚染対策地域 第3次地区の復元事業が開始(~平成23年度まで) | |
4月22日 | 不服審査第6回口頭審理(結審) | |
6月9日 | 判決20周年イタイイタイ病患者追悼法要を行う(於 富山本願寺) | |
7月 | 「イ病認定基準」などに関して環境庁交渉 | |
10月30日 | 不服審査会の裁決により、7名の内4名が認定される | |
1993 (平成5)年 |
2月10日 | 不服審査により棄却された3名につき、行政訴訟を提起 |
3月 | 神岡鉱業新電解工場竣工、稼働開始 | |
4月 | 梨木作次郎イ病弁護団副団長逝去 | |
4月28日 | 環境省保健業務課長通知が出され、過去棄却処分の見直しが指示される | |
11月15日 | 過去処分の見直しにより13名が認定 | |
11月30日 | イタイイタイ病行政訴訟を取り下げ (訴訟中の2名につき見直し認定があったため) |
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1995 (平成7)年 |
3月 | 環境庁長官にイ病患者救済と健康管理徹底の要請 |
11月 | 11年振りに第2回住民検診(環境庁方式で) | |
1996 (平成8)年 |
3月9日 | 清流会館の展示室を全面改装、披露の集いを開催(ジオラマ設置) |
1997 (平成9)年 |
産米流通対策地域(3号地)の復元事業が開始(~平成23年度まで) | |
1998 (平成10)年 |
1月25日 | 久保医療文化研究所よりイタイイタイ病対策協議会小松義久会長及び神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会が第9回久保医療文化賞を受ける |
5月13~ 16日 |
「イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム」を開催 会長 能川浩二(千葉大学衛生学教授)、副会長 加須屋 實(富山医科薬科大学公衆衛生学教授)、副会長 倉知三夫(京都大学名誉教授) |
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1999 (平成11)年 |
7月6日 | 「イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム」報告集を発刊 |
2001 (平成13)年 |
6月 | 神岡鉱山、亜鉛、鉛の鉱石の採掘中止(以後輸入鉱により選鉱、精錬) |
2002 (平成14)年 |
6月 | 婦中町長と同町議会に「イ病資料館」建設を請願 |
8月 | 富山県知事と県議会及び富山市長と市議会に「イ病資料館」建設を請願 | |
11月16日 | イタイイタイ病勝訴30周年シンポジウムを開催(於 富山県民会館) | |
2003 (平成15)年 |
4月 | 小松イ対協会長退任、名誉会長となる。髙木勲寛が現会長就任 |
10月16日 | 公害健康被害補償不服審査会に2人が異議申立を経て審査請求を申し立て(前件2件) 第1回口頭審理 17年11月16日~17日 第2回口頭審理 18年5月17日~18日 第3回口頭審理 18年11月9日~10日 第4回口頭審理 18年12月26日 裁決 19年10月29日 |
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2004 (平成16)年 |
1月17日 | 新たに2人が不服審査請求の申立をする(後件2件) 第1回口頭審理 19年7月11日~12日 第2回口頭審理 20年2月6日~7日 第3回口頭審理 20年5月21日~22日 第4回口頭審理 20年6月26日 裁決 20年12月24日 |
2005 (平成17)年 |
6月9日 | 第30回全国公害被害者総行動実行委員会から小松義久会長が感謝状を受ける |
2006 (平成18)年 |
6月 | 富山市が「イ病資料館」の建設を新規重点事業に指定 |
9月 | 被害団体が県知事、県議会および富山市長に「イ病資料館」建設を要請 | |
2007 (平成19)年 |
3月7日 | NHK「その時歴史が動いた」でイタイイタイ病裁判が放映される スタジオ出演・近藤忠孝弁護団長、取材出演・島林 樹弁護士、小松義久会長 |
5月 | 河野稔博士逝去 | |
2008 (平成20)年 |
4月14日 | 橋本道夫元厚生省初代公害課長逝去 厚生省見解に尽力 |
6月2日 | 富山県立イタイイタイ病資料館建設に向け議員会館を訪ね富山選出衆参国会議員に要望書を提出(東京) | |
2009 (平成21)年 |
1月13日 | 富山県立イタイイタイ病資料館建設を斉藤環境大臣に要望(長勢甚遠代議士・宮腰光寛代議士・竹内弘則県議・島田 一県議・宮本光明県議・高見隆夫市議・有澤 守市議・髙木勲寛会長ほか) |
6月7日 | 石井隆一富山県知事が清流会館を視察 小松義久会長とかたく握手(林時彦県厚生部長・坂田光文県議・竹内弘則氏・有澤 守市議) | |
6月11日 | 第1回富山県立イタイイタイ病資料館建設に向けイタイイタイ病関係資料継承検討会が開催される(小松・髙木参加) | |
10月8日 | 機関紙「イタイイタイ病」通刊100号発刊・39名の寄稿 | |
11月 | 小松義久イ対協名誉会長北日本新聞文化賞受賞 | |
11月26日 | 住民健康影響調査検討会報告書についての住民説明会が開催される |